終戦の日ですが、、
またこの日がやって来ました。
そう、必ず訪れる終戦の日。
この日が近づくと、メディアはこぞって恐ろしく悲しい出来事を放送するかしないか。
映像を流すことを良しとするか悪しとするかを悩むようで。
そして、その責任はどこに、誰にあるのかと、戦争の教訓が何も生かされぬ有り様。
そもそも、実際に起きた辛く悲しい出来事は終戦の日だけに思い出せば良いのか。
そんなパターンを繰り返しているから、
冬の寒さの温もりの恋しさのように季節がすぎれば忘れてしまう。
その日が来ると、
それを題材にした「今、人気で話題のあの人」をつかった視聴率合戦が始まる。
終戦も夏休みもオリンピックもメディアにしてみれば、同じレベルなのですかね。
その感覚は
戦争で奪われた、尊い命への冒涜です。
靖国を参拝する政治家を否定してるクセに。(人殺しに人殺しと言われるみたい)
オリンピックを華やかに盛り上げるのも良いですが、
国同士が一つの大陸の同じ場所で、視聴観覧者達の楽しみの中で、自分の夢を叶えようと集まった良い機会です。
黙祷の一つ、お線香の一つ、世界平和を願う祈りの一つでも、派手な演出やセレモニーの代わりたった一つでも加えるだけでも宜しいんじゃないですか。
使わない分だけエコにも繋がるじゃありませんか。
正しいことや反省は、
自然と幸先の良いことに繋がるんです。
「子供が言うことを聞かない」
と嘆いている大人達が
一番してはイケないことを繰り返している。(そりゃ聞かんわな)
または、見て見ぬフリ。
聞こえぬフリ。
知らないフリ。
子供を正したいなら、まず大人自身が正すことでしょ。
ナチスや北朝鮮と同じことをしていないと本当に言えますか?
他の国にも、自分の国にもしていないと言えますか?
どうして教科書に
自分の国の間違いの隠し事をするんですか?
本当に緩んでると思います。
戦時中の写真や、遺留品など、国会の通り道に置いてみてみてはどうでしょう?
少しは救うべき人達を、
本気で救いたい氣持ちになれるものではないでしょうか。
人であればこそ。
最後にもう一度言いますけど。
終戦の日にだけ思い出せば良い訳ではありません。

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