ガッカリちゃんです
わかってた
でもここまでド阿呆だと思わなかったです!
あ?何の事かと申しますと、世のバカ親どもです!(怒心頭ブチッ)メディアでも外でも見聞きしますね〜
自分の子共を殴れない親!特に母親ですよ!
「カワイソ〜」「やば〜ん」「ウチは全部褒めてのばす〜」「やり返されたらコワ〜イ」「今の子達は危ないから刺されたらどうしよう〜」
はいっ!そんな親のさ〜ん、オメデト〜ゴザイマ〜ス☆☆☆
そんな皆さんは見事に〜♪
ウンコです(怒頂点ブチブチッ)
全く!あまりにも間違いが多すぎて何から申し上げたらよいか分かりません!
まず、「我が子を殴れない、殴りたくない」という意識が、子供のことを全く考えてないとしか思えません。自分を守りたいだけ、自分が一番、親という言葉を盾にしてる(ようでなってない)大人の不都合な言い訳!
今の子供に根本的に足りないのは「人の痛み」を知らな過ぎる事。そして、それを体を張って教えるのが親なのです。「子供に嫌われたくない」とか「子供が恐い」なんて言う子供みたいな理由で子供と接する行為が「テメー善がり」と申したいのですよ。自分の身を案ずることなく、時には飛び込み、時にはぶつかり、「獅子の子落とし」の如く社会に出る為の「試練の谷」に突き落とす「覚悟」が必要ではないのでしょうか。
自分の身を汚す姿を我が子に見せてはなりませんが、自分が傷付くとか傷付かないとか、我が子想う氣持ちがあればそんなことも考えもしないと思いますよ。(感情的に行ってはいけません、逆効果です)
ある方の書物に『学校教育から「愛の鞭」を奪ったのは紛れもない 親達です だから「親よ子を殴りなさい」、親は体で痛みを教える義務がある。悪夢をさ迷う子供を殴って目を覚まさせるのが親なのです。』と、
言葉など、思想や理由を付け足せば言い訳も正当化されるし、真実も矛盾になることがあるのです。特に感情的になっていれば相手の救いの手を不愉快や苛立ちに思えてしまう錯覚もあるでしょう。(自分に非があればこそ)
たとえ、その瞬間に嫌われても憎まれても、我が子の後の幸せの為に罰を与えるのが子供を育て、社会に送り出す者の鉄則だと思います。
それと、今の殴れない親達にお聞きしたいのが、「自分がとても悪いことをした時に親や教師に叩かれ殴られたことを恨んでますか?」と、いうこと。(理不尽な理由や濡れ衣を着せられたのは別でしょうが)
そりゃあボクだって子供の頃に殴れて痛いのは痛いし、「こんなに殴られて…」なんて思うこともありましたが、殴られるような事もしたし、反省の切っ掛けにもなりました。(その他、理不尽な理由に関しては反面教師です。)
先日、こんなお話しを耳にしました。(※ちょっと分かりやすいようにアレンジしました)
母親が自分の子共(男の子二人兄弟)を公園で遊ばせていると長男が危ない事しています、弟が今にも怪我をしてもおかしくない状況です。母親はすぐさまやめさせようとして長男をきつく叱りました。しかし、長男はやめようとせず、それどころか、イタズラ心でエスカレートします。そこで母親は長男を引きずり出し、叩きました。すると、公園で遊んでいた他の子が、『殴るなんてひど〜い、あれ虐待だよ〜』と言われ、何だか「自分が間違ったことしてしまったのではないか?」と思えてきてしまった、との事です。
う〜ん、一昔前なら「虐待」だと言ったその子供達はその場で正座させられ往復ビンタでしょう。(いや、今の時代だからこそ、「虐待だ」なんていう思考が働きやがるんでしょう)
我が子を叱る親を見て「虐待だ」と子供が想うのは、親が悪いんです。「危ないことしたら殴られる、やめろと言われても危険な事をすれば殴られる、悪い事すれば親は恐い鬼になる」という、当り前の常識がその子供達にはないのでしょう。つまり、体を張って体で教えてくれる本氣な親ではない親を持つ可愛そうな子供達なのですね。
何だか色々あり過ぎて、記事も長くなってしまいそうですし(キーボードを打つ手が休息を欲しがり始めたし)、何を言おうとしたいのかも分からなくなったので
終わります。
そして、
風呂に入ります!
では、さようなら。
チャプン

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