教育と藝術…そして表現
まるで子供とは別の土俵にでも上がってるように、それどころか子供の顔色を伺い、泣かせないように、怒らせないように氣の遣い方を間違えている。
だから悪い言い方をすれば子供が大人を「ナメる」のです。
「子供に嫌われたくない」とか「スネルと面倒くさい」「泣くとウルサいから関わらないように」なんて子供のような理由で子供と接するから
子供も成長出来ないし、大人も成長しない。
先日、ある映画監督とそんな話しをしている時に、
『教育とは「教えて育てる」のではなく、「教えることで自分が育つ」ことなのに、なんで教えてやってる氣になるのかなぁ?それに子供に「そんなことも出来ないのか!」って言う教育者は「そんなことレベル」のことも教えて出来るようにしてあげられないんだから、その教えは伝わってないじゃない』と仰っておりました。
そんな大事な事も、芸術で表現することも可能だとボクは考えます。
芸術を芸術的に芸術家にしか共感出来ないもの
は興味のない人はシラケてしまいますよね?
映画に例えるなら、どんなに手の込んだCGや高性能なカメラを用いても 「根本にある表現や人間ドラマ」を無視しては一部の共感しか得られません。
だから大人も表面でどう子供と付き合うか?よりも、もっと原点に帰って同じ舞台で子供から尊敬と信頼を得たいものです、それは同じ目線で立つこと。
それはボクにとって、表現者としても何ら変わりないことです。全て己のことであり、周りのことであります。
果たして、芸術は娯楽、エンターテイメント、最終的にスッキリ サッパリ終われる物だけで良いのか
人生を表現するなら、
そんないいことだけじゃ本当に大切なことは伝わって行かない氣がします。

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