魂の言霊

近すぎて見えなかったもの、 当たり前で氣付かなかったこと、 便利さ、不自由のなさと引き替えに失ったもの、

ブログ始めのご挨拶。

はじめまして。
わたくし、DAIGOと申します。
ブログを始めるにあたり、
一言ご挨拶を申し上げさせて頂きます。

堅苦しい挨拶もこの辺にしまして。
この度、ボクはこの「ブログ」というものを通して
近すぎて見えないもの
当たり前で氣付かなかったこと
便利さや不自由ない生活と引き替えに失ってきたもの
などを含めた、
どうでもいい自己中心的な話題
を織り交ぜてお届けしていこうと思います。
そして、アクション(主に時代劇アクション)を通じて、
「カッコよさ」だとか「芝居の魅せ場」より、
もっと大切なことを遺して行きたいと考えています。
(因みにボクは俳優・表現者なのです)

最近、「生きてるのに死んでます」と主張せんばかりの人が増えてきた事が大変悲しくてなりません。
また、命を軽視して「傷付けてみたり、死んでみたり、殺してみたり」が昔からあるにしろどんどん悪い形になってきているように思えるのです。

そんな時代に、殺し合いの表現(アクション)で出来る事は大いにあるのです(確信してます)
日本人には「礼儀」や「情」「義」「日本人たる魂」といったものを歴史と共に生きてきたはずです。

そして日本人には、世界一完成度の高く、美しいと言われる刀がある。
「ならばそれを自分がやろうじゃないか!」
ていうことです。

刀で斬り合うシーンを見て
「わぁカッコイイ」と思って欲しくない、
そこにある殺し合う恐怖や虚しさ哀れさを見て体感してもらいたい。(でもカッコ良さは追求しつつね)
それが形を変えて今も世界の到る所で行われている「戦争」というものがボクらの側にあることに氣付いてほしい。

勘違いして頂きたくないのが、別に残虐で卑劣なものを見せたいのではなく「生きることを知りなさい」ということ。
これは再三ボクがブチ撒いている事なのですが
『人を殺めてはならない時代だからこそ、人を殺める表現が必要』
だと確信してます(再確信)

それにより皆様に「死を知り、生きている自覚を持てる」切っ掛けになれば幸いです。

ボクが生きている間に世の人々に出来ることはそれくらいです。

いきなりなんですが、

さぁさぁっ!
ご挨拶より改め
DAIGOブログ第一段記事☆

始めなのでいきなりバカ話しも何だし〜!
毒舌も何だし〜!(挨拶でお堅いお話しもしてしまいましたし〜!)
まぁ、長所も短所も全て含めた「等身大のDAIちゃんをお届けする」ということです(普段は自分のこと「DAIちゃん」と呼びませんよ!皆がそう呼ぶのです!!)

あ、そうそう。
当ブログにリンクしてある『小さな日記』もボクが管理、投稿しているのです!
何とな〜くその日その瞬間(とき)に、ふと想うことのメモ書きを公開しているだけのことです。
何か「こんな氣持ちって大事だなぁ」と思ったことって忘れちゃうのですよ(ボクだけ?)

そういうことをやるのも何か縁か思し召しか、またそれも切っ掛け。
「この言葉を信じろ!」ではなく「まぁ、こんな言葉が行き着く先の切っ掛けになれば幸い」なのです。
なんてことを言って
みたり「くぉ〜んなことぐぁ〜あ〜りま〜した〜」みたいなことも

そんな話しをしてる間に何だか「そろそろもうい〜かな」と思い始めて来たので…。




『小さな日記』
↓↓↓↓↓↓↓↓
http://blog.goo.ne.jp/katana-dmln/

結局お堅くなりました(ポリポリ)

先日、「殺陣(アクション)とはなんぞや?」と質問されました。
ハッキリ言ってそんなこと深く考えておりません。

簡単に形式的にご説明すると、要は
バトルです
ケンカです
場合によっては
殺し合いです
そこには当然、「生きる者と死ぬ者」がいます。
では何故その殺し合いに勝った「生きた者」は相手を殺めたのでしょうか?

「死にたくない、生きる為に、」
「義務・命令・金の為」
「殺すのが快感・又、殺すことに躊躇(ちゅうちょ)がない」
「憎くて殺したい」
「大切な人を…人達を守りたいから!自分が死んだらその人達が殺される」
など、他にも理由があるでしょう、これら全てひっくるめた表現が「殺陣」です。命のやりとりなのです。

では、本題ですが、今は侍の時代とは違い 人を傷付け、殺めてはいけない時代です、なのに当たり前のように見聞きする事件が後を絶たない、そんなメディアの裏には何倍もの被害者、加害者達がいる。

『じゃあ何故人を傷付け殺しては駄目なんだ?』と思った方。そう思うことが原因です 自分と人の痛みを知って下さい。
ボクは「人を殺めてはならぬ時代だからこそ、人を殺める表現が現代には必要」と考えています。それが殺陣という表現には出来ると
小さい命から被害者も加害者も生ませない。

それが本当の大人の「教育の義務」では?
(授業を受けさせればそれで終わりかい!?)

そんなことも、少しずつお伝えさせて頂きますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。

表現者の目線から世の中へ(自論では御座いますが…)

無意味な犠牲伴う哀れに争う戦争。
他人や自分の命を軽視し、傷みを知らぬ人間感覚。
正義感や親切心、ただその瞬間、そこにいただけで肉体的精神的一生の傷を付けられる、また殺される理由になってしまう理不尽な犯罪。

それらを亡くす切っ掛けとして、殺陣(アクション)で表現出来ないものか?
これから僕がそれを殺陣(アクション)で表現し、伝えて、残して、変えていくことを世界にお約束したいと想っています(先のことはどうなるか分かりませんが)。

では、根本に「なに」を表現するのか…、
それは「人間が生きることそのもの」だと考えています。
その為に『「死」を表現し、「生きる」こと』
そして『死を知ることは、今 生きていることを自覚する』
こと、
それは『人を殺めてはならない時代だからこそ、人を殺める表現が必要』だと考えてます。


戦争は勝つために人を殺します。争う意志のない者達まで…
普段、日常で一人殺せばクズ扱い
戦争に勝つために大勢殺して英雄扱い。
一体、何の差でしょう?
法律にあるだけが罪でしょうか?ワイドショーで騒がれる殺人犯も戦争で人を殺した者も人を殺めたという事実は一緒です。

もう「人を殺す」とか「人が殺される」とか、表現の世界で充分です。

憎むべきは戦争、犯罪では無く「人間の愚かな憎悪」、
だから憎しみを持ってはイケない。

悪意、恨み、憎しみ、妬み、嫉妬は消えることは不可能でしょう…
ただ、その矛先を変えることは、可能な氣がします。


話しが飛びますが、
最近想います、
「表現者は人間という一箇所から別々の方向(芝居や音楽や踊りなど)で見ているのでは無く、それぞれ別の色々な角度にいて同じモノを見ている
そんな氣がします。

それは表現者の目線ではなく、人としての目線で芸術を生み出す。
それが我々表現者だと信じています。
それは個人技ではありません、本氣で信頼出来る仲間がいるからこそ 自分の自信になって行く、そして芸術が完成するのでは(また他の方法もあるでしょう)

現段階での結論として、芸術 表現というものは、
とても身近で最も大切なことに氣付かせる切っ掛けなのではないでしょうか。

「アナタ」は「アナタ」が大切ですか?

物が増え過ぎて便利過ぎる時代だからか、特に若い方に多くみられますね〜。
「自分さえ良ければ〜、今が楽しければ〜、死ぬの怖い?別に〜」という方、
また逆に
「消えたい…、死にたい どうせ誰も悲しまない…」と言う方々、まぁ若い方とは限りませんが下は幼稚園くらいから上は限りなくいます。


はい、これらの声に
「賛成!同感!その通り!」
と思った方〜?
ハイ、そう思った方に申し上げますね〜☆

ハッキリ言ってアホですね(怒)
なに?自分は独りで生きてると思ってます?
あ、ソレ生きてるって言いませ〜ん♪(はっ!?裏DAIちゃんが)
いきなり暴言を吐きましたが 悔しい?ムカつく?カンケーねぇ?

あっそう、だったらさぁ
「生きて見せろよ!」
生きるために強くなって下さい
強くなりたいなら人に優しくなって下さい
人に優しくなりたいならまず自分に優しくなりなさい

自分を粗末に扱う人間は人に優しさなんて与えられません!自分に粗末な「アナタ」、周りから『優しい人』と言われたのなら相手の誤解と思って下さい
「アナタ」は周りにとっても「アナタ」自身にとっても大切で貴重な存在なんです。

死ぬのが恐くないなら、「死」というものを理解からもう一度自分に聴いて下さい。それが答えならやっぱり死ぬべきじゃない。

今が楽しければいい?それって今の自分じゃ「将来」マズいから「今」に逃げてるんでしょ?

死にたい?誰も悲しまない?自殺したらどうなるか知らないでしょ?
ドラマで見る遺体になんかならないんですよ(ブログではグロ過ぎて言えません!)
目撃者は悲惨な光景を一生頭に植え付けられる、処理する人達だって大変!
公共の場では家族が莫大なお金を支払います!
車に飛び込んだら運転手が逮捕されるんです!

『じゃあ誰にも氣付かれなければいい』んだぁとぉ?
「アナタ」を心配してる人は「アナタ」が生きてると一生信じ続けます、遺言を残しても「皮肉にも微かな希望」を願います。

この世にそんなもの残して終わって良いんですか?自分が死んでも悲しまないと全ての人に確認しましたか?家も学校も職場も、それも無ければ「アナタ」の居場所を探しましたか?足を踏み入れましたか?誰かに相談しましたか?精神科、心療内科、メンタルクリニック、には行きましたか?

この世には「アナタ」の知らない誰かがニュースを見て「アナタ」の死を悔やむ人がいるんですよ!

人と生きてみましょうよ!
死んだ先に希望はありません。

「生きることを選んだ」
ただ、それだけでも立派じゃないですか。

テーマ:壊れた心を取り戻す - ジャンル:心と身体

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今日の「小さな日記」

押し潰されない心のために 必要なのは

頑丈さよりも 柔軟性だと思う

プロフィール

柴田大碁(しばただいご)

Author:柴田大碁(しばただいご)
/俳優


●プロフィール

血液型:A型
誕生日:3月6日
出 身:北海道函館市
サイズ:身長176cm 体重67kg
胸囲110cm ウエスト78cm

◆特技
アクション・殺陣(時代劇〜現代劇)、格闘技(空手、キックボクシング、関節技)

◆取扱武器
刀剣全般、槍、棒、ヌンチャク、サイ、鎌、

◆経歴
17歳で殺陣師・柴崎滋に師事。
柴崎アクションプロジェクト(SAP)立ち上げ時に所属。
現在、SAPでは俳優、アクション専門のプレイヤーの他。柴崎氏の振付補佐、役者リーダーとして活動中。




●番外プロフィール

◆性格(他者の意見)
落ち着いている、stoic、変人

◆好きなもの
自然風景、温泉、映画、歴史的建造物、未確認生命体資料、オーパーツ、恐竜、古墳、星、石

◆嫌いなモノ
戦争、金属的機械的騒音、「自分さえよければ良い」という感覚

◆好きな場所
自然界全般、田舎、城、お寺、神社、古代遺跡、緑の多い静かな広い公園、教会

◆嫌いな場所
煙草臭い所、人混み、騒音の中、スラム街

◆好きな言葉
「倖せになりたいのなら、自分が最も嫌いで逃げたいことから先にやるべし」
「してあげたことは忘れて、して頂いたことは忘れるべからず。してあげるのではなく、させて頂ける有り難みを知りなさい。」
「忘れろ!逃げるな!楽しめ!」

◆好きな映画(出演作は除く)
ブルース・リー作品(特に「燃えよドラゴン」)
黒澤明作品(特に「七人の侍」「椿三十浪」)
「道」、「男たちの挽歌」、
「ミリオンダラー・ベイビー」、「道」
「夕陽のガンマン」、「ブレードランナー」

◆好きな監督
貫井勇志、黒澤明、クリントン・イーストウッド、リドリー・スコット

◆尊敬する表現者
柴崎滋(殺陣師)、貫井勇志(映像作家)、戎谷康宏(写真家)、RM(歌手)、三谷結子(オペラ歌手)、ブルース・リー(アクション俳優)、
クリストファー・ジー(映画音楽作曲家)

◆好きな音楽
バロック、クラシック(オーケストラ全般)、
洋画サウンドトラック、太鼓、ヒーリング、
フラメンコギター、パイプオルガン、不規則なリズムサウンド、
和太鼓、賛美歌

◆好きな音楽家(作曲家)
クリストファー・ジー(映画音楽)、ハンス・ジマー(映画音楽)、RM、鼓童、ドボルザーク、ドビュッシー、バッハ、ショパン、三谷結子(オペラ)、

◆好きな食べ物
スイーツ全般、豚骨ラーメン、野菜

◆嫌いな食べ物
フォアグラ、ウニ、エスカルゴ

◆好きな飲物
ビール、ウィスキー、プロテイン

◆嫌いな飲物
中国酒、

◆趣味
寺回り、神社回り、武家の墓地回り(山とか森とか林とか)

◆休日の過ごし方
山で走り、竹木を斬り、迷子

◆今ハマっているもの
冬季限定チョコ、ウィスキー、つまみ

◆今年のプチ計画
ビルドアップ
野生化
習い事がしたい(カポエィラ、英会話、乗馬、ダンス(ジャズかな〜)、書、ボクシング、ボイス、フラメンコギター、他




◆表現

鬼氣迫る独自の演技と、神懸かり的な芝居を醸し、氣迫や緊張感は勿論。
刀(武器)の重量感を重視し、バトル感とリアルさを追求した、型を型に見せない、
「ドキュメンタリーチック」なアクション(殺陣)を得意とする。(ボディアクションも同様)

「人を殺めてはならない時代だからこそ、人を殺める表現が今の時代には必要」という思想を忠心に、
「格好良さ」や「芝居の見せ場」だけという概念を取り払い、
「人として大切なことはなにか」を魂を込めて世界に問い、投げ掛ける。

映像、舞台を問わず、視界に収まりきらないライヴ感は見る者を圧倒する!

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