倖せについて綴ってゆきまする



倖せの理想や形は人それぞれ。
恋愛や結婚。
経済的に裕福な暮らし。
夢を追いかけ実現に向かう。
家族。
倖せはその人が感じるものであるのですから、
否定出来ないことです。
(道義や人道から外れるものはこの限りにあらず)
例えば夫婦の間で
「人生はお金じゃない」
と言っても、
相手がお金に倖せを感じることは
価値観の違いであって、
決して間違ったことではないのです。
子供だけが生き甲斐の人もいれば、一人が氣楽で氣を遣わない生活に倖せを感じる人もいるでしょう。
安定した暮らしに不安を感じなくて良いことを倖せと思いたい人もいれば、
多少苦しくとも、やりたいことにひた走り、刺激的な人生を送ることを倖せだと思える人もいるんです。
だから、「これが自分の倖せです」
というものを
「そんなのおかしい!」「間違ってる!」
とは一概には言えないもので。
その人がラクになれる(ラクをするとは別の意味)で楽しい人生であるならば、
喜ばしいと思える心が大器な人間と呼べます。
そういう人って、きっと自分も倖せなんでしょうね。
倖せになれる人って「余裕」が違うと思うんです。
倖せと思える「余裕」。
人の倖せを願える「余裕」。
人に倖せを与えられる「余裕」。
DAIチャン良く言っとりますけども
「自分が倖せじゃなきゃ人を倖せに出来ないし、人の倖せを願えない人はきっと倖せになれない」
と常日頃から変わらず思っています。
倖せになれないと言いますか、
倖せになれる余裕もないのだと。
どんなに心が病み、疑心暗鬼になって自暴自棄になろうとも、
そこで心にもう一つ部屋を作って、人の倖せを願えるかどうかで、
きっと今後の人生変わるんじゃないですかね。
あ、いきなり関係ないですけど、
オーディション落ちました。
お話しを下さった方やご面倒見て下さった事務所の方々には
自分の力及ばずで本当に申し訳ないと思っています。
残念でしたけど、良い経験でした。
演出家の直接指示による実技審査で名前を呼ばれて演出通り演じるという
シンプル且つ非常にシビアなものでした(オーディションとしてはユニークです)。
名前する呼ばれない人もいた中で、DAIチャン名前呼ばれて挑戦出来たことはもの凄い財産です。
キッカケをくれた全ての人に感謝です☆
この先、名前を呼ばれない側になることもあるかもしれません。
氣を抜かず精進ですな。
あれ?また話題逸れましたね。
んま、これもDAIチャンの倖せの一部でありまして。。。
何か最初に書こうと思ってたこと、忘れちゃったな。
ま、何を書こうか忘れても、DAIチャンみんなが倖せな氣持ちになってくれることを願う氣持ちは変わりません。
また、倖せを願える人にもなって欲しいと願うんですね。
うん、まとまりねーな。
もうちょっとお付き合い下さい。
結局自分を粗末にしちゃ倖せになんかなれないよ!ってこと。
自分が倖せにならなきゃね。
あなたが倖せになると誰かも倖せな氣持ちになれるんだよ。
そう考えると人との繋がりって凄く神秘的だよね♪素敵です。
「この世は目に見えないものの方が偉大なんやで〜」
と関西弁を喋る三重県出身の友達の言葉を思い出します。
DAIチャンも常日頃から感じて生きて来ました。
これでも素直な性格なんです(ツッコまなくてヨシ!)
子供の頃から目に見えるものを受け止める、受け入れる性格です。
と同時に、
目に見えないに敏感で
物事捻って見て生きてきました。
そんなDAIチャンを理解出来ない、上辺だけで判断する人は「ひねくれてる」って勘違いしちゃうんだよね。
それも「ヒネクレ」だよ〜と捻って分析しました結果。
あ〜、また話題が逸れた。
要は倖せになるって簡単じゃないんだよね(多分)。
短所を受け入れること。
大切なこと、目を背けてはいけないこと。
自分を大事にしてあげることが
とても尊いことなんですね。
「倖せにする」とか「倖せになる」
じゃなくて、
じゃあ「倖せ」そのものってなんなの!?
ってことかな。
その追求は深い深いことだけど、
実はとても身近で肌で感じているものかも。
それはとても有意義なことですよね。

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